先日、家の近所にあるコンビニで、ちょっと新鮮な経験をしました。
と言っても、別に何かくじが大当たりしたとか、逆にトラブルに見舞われたとかではないです。
それは、そのコンビニで最近働き始めたと思われるバイトの店員とのことでした。
ともすれば見過ごしてしまい、日常に埋もれてしまいそうな何でもないことですが、せっかくこういうブログをやっていることだし、人生の備忘録として、ぜひ書き留めておきたいと思います。
近所のコンビニの店員に妙な心のざらつきを感じた体験
先日、私は食料品の買い出しに出かけ、最後に行きつけの近所のコンビニに行きました。
そして、いつものように買い物をし、いつものようにレジに並び、いつものように会計をしてもらっていました。レジの担当は、初めて見かける30~40代くらいの女性店員でした。
会計中に私は、前のスーパーでうっかり買い忘れたものがあったことを不意に思い出しました。また戻って買えばいいや、と一瞬思ったのですが、そのときに限ってアイスを買ってしまっており、それもできないことに気付きました。
そして、思わず顔をしかめながら、「ああ、そっか」と声を漏らしてしまいました。
そこまでは何でもないのですが、それに反応して、会計中の女性店員が顔をこちらに向け、唐突に、
「どうかしましたか?」
と声を掛けて来たのです。私は突然のことに驚いて、とっさに、「あ、いえ、何でもないです」と答えました。
すると、その店員は「大丈夫ですか?」とさらに畳み掛けてくるので、「なんだこの人」と内心で思いながらも、「大丈夫です」と返しました。
もちろん私はそのコンビニ以外にも、いろんなコンビニで買い物をしますが、こちらのプライベートな会話や独り言に反応して声を掛けてくる店員には、記憶の限りでは近年一人も会ったことがないので、かなりびっくりしました。
その女性店員は外国人だった
名札を見ると、明らかに中華系と分かる一文字の苗字が書かれてあって、さらに研修中とありました。
バーコード読み取りが終わると、その店員はふたたび声を掛けてきました。
「袋は分けますか?」
野菜などの生ものと冷凍食品を同時に買っていたので、分けたほうがいいか、でも家まで近いから別にいいかな、などと考えていると、
「こっち冷たいから分けた方がいいですよね」
と、話を進めてきたので、私は「じゃあお願いします」と返しました。
活字にすると伝わりにくいのですが、日本人の店員がルーティンとして発する「袋お分けしますか?」のセリフとはまったく異質の、濃さや圧のようなものがありました。
店員と客、ではなく、一人の人間と人間、と言えば分かりやすいでしょうか。
少なくとも彼女の頭の中では、「私は店員でこの人はお客さん」という意識ではなかったと思います。肩書きや立場の違いを外れた、一人の人間としてこちらに向き合っているような感じでした。
文章にすると結構時間が経っていそうですが、この一連のやりとりは、非常に短い、瞬間的なものだったと思います。
彼女が口を開いたのは、合計わずか10秒たらずの一瞬のことでしたが、私の心にそんな妙なざらつきを残しました。
私の心のざらつきの理由
その店員の物言いは、ぶっきらぼうに聞こえましたが、同時に血の通ったものでもありました。こちらが思わず漏らした狼狽の声と表情に対して、気遣う声掛けをする。さらに、自分が良いと思った梱包の仕方を提案する。
彼女がやったことは、要するにそういうことです。人間として当然のコミュニケーションでした。
なぜこの何でもないはずの体験が、私の心にそれほどのざらつき、違和感を残したのかを振り返ると、「それだけ普段の買い物で、自分は店の人とコミュニケーションを取っていなかったのだ」という、単純な事実に気付くのでした。
日本人の店員なら、このような声掛けはまず考えられません。別に彼らが人間として不親切というわけではなく、店員とはそう振舞うものだという、一種のコードが浸透しているからです。
そのコンビニの接客マニュアルに「余計なことは言わない」と書かれているのかどうかは知りません。ただ私の働き手としての経験で言うと、客というのは、こちらの想像を絶するような理由でこちらの言葉を悪意に捉えたりして、それがトラブルになることが往々にしてあります。
そのため、「業務の遂行に関係のない、不要なことは一切口にしない」という、マニュアルと言うか、暗黙の了解のようなものが、この現代日本の社会全体に行き渡っているという印象があります。
日本人の知恵と言うのか、「触らぬ神に祟りなし」の精神を超高度にシステム化したのが現代日本の姿である、と表現するのは、大げさでしょうか。
マニュアルと言う言葉は、揶揄的な意味を込めて使われることが多いですが、細かいことまでマニュアル化していくことで、誰がやっても安定した高パフォーマンスを実現できるシステムを作り上げることができます。
現代日本の社会システムでは、鉄道の運行時刻の正確さをはじめ、あらゆる面でその合理性・無謬性・安定性が行き渡っており、それは世界的にも極めて高く評価されていると言います。
サービスの提供側(店員)が「余計なことを言わない」ことを徹底させることで、サービスの受け手側(客)も心を乱されることもなく、一連の業務もスムーズに遂行され、その結果、全体として店員も客も、無駄な時間や労力をかけることなく、目的を果たすことができます。
「余計なことを言わない」はあくまで比喩表現であって、要するに無駄のなさ、ということです。
この無駄のなさは、世界的にもほぼ比類のないもので、日本人が世界に誇ってよい強みだと私は思います。
次ページ「無駄のなさの一方で失われたもの。その女性店員とのやりとりが想起させてくれたもの」に続きます。