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ホリエモンと言えば、歯に絹を着せない物言いで、テレビやSNSなどのメディア上で炎上を定期的に繰り返しています。

なぜホリエモンは炎上するのか?その理由を私なりに考えてみました。

ちなみに私はホリエモンの発言に腹が立ったり不快に感じた経験は(現時点では)ありません。

「まあ、正論だよね(言い方はアレだけど)」と思うか、「いいのか?そんなこと言って」くらいに驚くことはあります。

では、さっそく行ってみましょう。

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ホリエモンが炎上する理由1.上から目線

とりあえずホリエモンは、いつでも上から目線です。何と言うか、常に「黙ってオレの言うことを聞いてればいいんだ」という口調なので、それが癇に障る人は多いと思われます。

ホリエモンが炎上する理由2.人の話を聞かない

これは理由1とも通じるのですが、とにかくホリエモンは、自分に非があるとは決して考えません。そのため、持論に対する反論に耳を貸すことはほとんどなく、「的外れ」「無意味」と言下に切り捨てます。この反応がさらに炎上に油を注ぐ結果となってしまうのです。

ホリエモンが炎上する理由3.合理的すぎる

また、考え方が合理的すぎるというのも、炎上しやすい原因なのだと思います。例えば、すし職人の修行期間についての発言や、ロボットが人間の労働力に取って代わるというビジョンなどですね。

ある人々にとっては、自分のやってきたことを全面否定されているような気がして、心穏やかではいられないでしょう。

ホリエモンが炎上する理由4.おせっかい

これは最近、ホリエモン自身も糸井重里さんあたりから指摘されたことらしいですが、ホリエモンはおせっかいな側面があります。最近「ゼロ」「君はどこにでも行ける」など、自己啓発っぽい本を立て続けに出していることからも窺えます。

君はどこにでも行けるか?ホリエモンからの熱いメッセージを読み解く

自分自身が非常に優秀で、勤勉で、よく考え、よく行動する、フロンティア・スピリットのかたまりのような人間であり、しかもそのような自分の生き方に全幅の信頼を置いているので、他人、とくに若者に対してもそのように考え、行動するように啓発したがります。

しかし、現実問題、ホリエモンのような強さと意志を持った人はそんなに多くはありません。日本に限らず、世界的に見てもホリエモンのような人はごく少数でしょう。

世の大半の人たちは、つつましく暮らす小市民で、日常のごくささやかなことに楽しみや喜びを見出して、それなりに幸福を噛み締めながら生きているのです。

そんなところに、いきなり上空1万フィートから、そんなささやかな市民生活にダメ出しをする(本人にそのつもりがなくても、少なからぬ人にそう取られてしまう)御託を見舞われたりすれば、不愉快に思う人が多く出てくるのは必然と言えます。

ホリエモンが炎上する理由5.言葉が短すぎる

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上で挙げた「上から目線」と「人の話を聞かない」と「合理性」が組み合わさると、「言葉が短すぎる」ということが起きます。

短い言葉の背後には、多くの情報が示唆されます。特にホリエモンほど頭が良くて、よく物を考えている人の発言は、たとえ短くても、その背後には膨大なデータや経験や肌感覚の裏づけがあります(バイアスはあるにせよ)。

ホリエモンはその背景を一切捨象して、結論だけを端的に、それこそ140文字もないくらいの短い言葉で言い切ってしまいます。

すし職人の修行期間についての発言などは典型的です。あのホリエモンの発言は、別に他意があったわけではなく、単純に「10年は必要ない」と主張しているに過ぎないと私は思います。

要するに、「すし職人としての技術は10年もかけなくても、とりあえず自分が美味いと思えるレベルのものはすぐに握れるようになるのでは?」という素朴な疑問をぶつけただけなのだろうと思います。

それを「バカ」という刺激的な言葉で、何の留保もなく言い放ってしまったから、あれほどの炎上騒ぎになってしまったわけです。

思うのですが、日本の伝統文化って、身に付けるのに何十年もかかると言われるものが多いですよね。すし職人もそうだし、能・狂言や歌舞伎のような伝統芸能もそうです。

でも、単に人に観てもらってそれなりに楽しんでもらうレベルなら、それこそ農村の集落の祭りで子供でも歌舞伎を演じたりするわけですから、確かに何十年もかかるということはないでしょう。

ホリエモンの言っているのは、そういう話なのだと思います。

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ホリエモンが無視していること

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ただ、ここで疑問があります。たとえば歌舞伎役者。

彼らはなぜ、物心付いた頃から大人になっても、中高年になっても、あれほど長い時間、長い年月をかけて稽古を続け、それでもなお「まだまだ全然ダメ」と先輩や父親や祖父からダメ出しを食らい続けるのでしょうか。

既得権益層がもったいぶってるだけ、なんていう見方もあるようですが、「伝統を受け継ぐ」ことは、実はそのくらい大変なことなのではないか、と私なんかは想像するわけです。

現代の空気に流されるのはたやすいことです。と言うか、放っておけば、私たちは普通に空気に流されていきます。ただ、その空気の中にあって、過去の何百年分もの昔の空気、つまり伝統を、あたかも衣服のように自在に身にまとえるようになるのは、決してたやすいことではないはずです。

常に精進を続けなければ、あっという間に現代の空気と混ざってしまって、それは伝統でも何でもないものに作り変わってしまうはずです。

別にそれでもいいじゃん、という意見も少なくないでしょう。そしてその考え方は決して間違ってはいません。

ここまで来ると、そもそもなぜそこまでして伝統を固守する必要があるのか、という「そもそもの話」になってしまいます。これについては、もう「日本人のDNAに組み込まれている」としか言いようのない話になると私は思っています。

相撲にしても、歌舞伎にしても、私たちはその閉鎖性や排他性や理不尽な慣わしなどに疑問を感じつつも、その歴史や伝統には限りない敬意を払い続けています。

無意識のうちに伝統的なものに対する絶大な敬意を寄せているからこそ、そのよく分からない伝統のブラックボックスの中に、「何か自分ごときには及びも付かない、広くて深い海が広がっているに違いない」という想像を無意識のうちに働かせ、その結果、むやみに伝統に楯突いたり逆らったり否定したりすることを遠慮してしまうのです。

この心性がマイナスの方向に触れると、権威主義やブラック企業風土を醸成してしまうことにもなり、ホリエモンはその点を問題視していたところもあったと思います。

ホリエモンは、その「日本人のDNA」という文脈をすっぱり切り捨てて、ごく短い言葉で、しかも「バカ」という挑戦的な言葉で発言してしまっており、そのことが多くの反感や反論を引き起こしてしまったのだと言えます。

まとめ

ホリエモンに関しては、何と言うか、「今日の秋刀魚はよく脂が乗っていて美味しい」みたいな会話が家族とできることの幸せと言うか、そういった価値観をほぼ持っていない人なのは間違いなさそうです(生まれ育った家庭環境が大きいと思われる)。

もし、そういう感覚を持った一般的な日本人のメンタリティに配慮した言葉を使うことができれば、あんなに頻繁に炎上したりはしないのではないかな、と思います。

とは言え、たぶん、そのようなメンタリティを持っていると、それこそ貧しくてもそれなりに幸せに生きられてしまう(実際そういう若者が日本に増えている)ので、ホリエモンのような生き方を志向する人に対しては、無いものねだりになるのでしょうね。

よしず後記

よしず

ちなみに私はどちらかと言うとホリエモンの生き方にはシンパシーを感じています。彼については、ビジネスのことを話させれば文句なしに一流なので、その発言はかなり尊重しています。

ただ、それ以外の分野では、根本的な価値観のところで「?」となる印象をしばしば受けます。