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松山ケンイチさん、東出昌大さん主演の話題の映画「聖の青春」をようやく観ることができました。

私自身、将棋が趣味で、前売券販売開始直後にチケットをゲットしたのですが、実際観に行くのは、なんとなく先延ばしにしていたのです。

あらすじやネタバレ的なことは、他のところでいろいろ言及されているでしょうから、ここでは個人的に刺さったところ、気になったところなどを挙げていきたいと思います。

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聖の青春の気になったところ1:山口恵梨子が出ている

大盤解説(プロ棋士と女性の聞き手が、大きな将棋盤のボードをはさんで将棋の解説を進める)で「えりりん」こと山口恵梨子女流棋士が出演していました。

化粧のせいでしょうか、普段の山口恵梨子女流とは違って見えたので、最初は確信できませんでしたが、エンドロールに名前が出ていました。

その対局は今から18年くらい前なので、山口女流はまだ小学生だったはずですが、一種のファンサービスなのでしょうかね?

他にも中村真梨花女流や田丸昇九段、山崎隆之八段などが出演していました。

聖の青春の気になったところ2:羽生善治役・東出昌大の演技

聖の青春の「ヒロイン」役とも言える、羽生善治を演じる東出昌大さんの演技は、やはり気になるところです。

実物の羽生善治さんは、とても真面目ではありますが、その一方で非常に自然体な人でもあります。いわゆる「天然」と呼ばれるキャラクターの持ち主です。

羽生善治さんは、非常に陽性な性格の持ち主で、自分の考えや感情を率直に表に出す人でもあります。

それでいながら普段の受け答えは非常に優等生的で当たり障りがなく、底知れないものを持ち合わせている点が、羽生善治さんの特異なところだと私は見ています。

一方の東出昌大さんですが、この方はインタビューの受け答えなどを聞いても、非常に真面目な人であることがうかがえます。語り口は不器用な感じですが、とても誠実に、一つ一つ言葉を選びながら、真摯に受け答えする姿にはとても好感が持てます。

聖の青春での羽生善治役の演技も、非常に落ち着いた、真面目な雰囲気のものでした。

羽生善治さんの仕草をよく研究していたのでしょうね。本当に対局中の姿や表情などは、羽生善治さんを彷彿とさせるものでした。

東出昌大の演技は羽生善治ではない。だが、そこがいい

でも、口を開けば、その語り口は東出昌大さんのもので、実物の羽生善治さんのようなクリアな明るさではなく、少し影のある雰囲気をかもし出していました。

そして、その感じが、この映画の雰囲気にとてもよくマッチしていたと思います。

私の想像ですが、実物の村山聖さんと羽生善治さんの会話は、実際にはこの映画のようには噛み合ってなかったのではないか、と思います。

実物の羽生善治さんなら、村山聖さんのあの質問(なぜ将棋をするのか)に対して、当たり障りのない一般論のような回答をしていたと思います。

負けて死ぬほど悔しい、という言葉を、あの羽生善治さんが、人前で、しかもあれほど感情を込めて、口にしたとは考えにくいです。

でも、それだと映画になりませんからね。

そういう意味では、東出昌大さんの生真面目さがよい方向に転んだのが、この「聖の青春」という映画なのだと思います。

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聖の青春の気になったところ3:松山ケンイチの駒を動かす手がこなれている

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将棋をする人にとって、将棋関係の演技でいちばん気になるところはどこだと思いますか?

それは、「手」です。

手がきれいとか汚いという意味ではなくて、駒を動かしたり取ったりする「手の動き」のことです。

私は何年も将棋をやっているので、普段はまったく意識しないのですが、どうもこの手の動きはけっこう難しいようです。

率直に言わせていただくと、映画「聖の青春」では、松山ケンイチさん以外にもいろんな方が棋士の役を演じていましたが、手の動きがこなれているとは言い難かったです。

そんな中でも、松山ケンイチさんの手の動きは、いちばんこなれており、自然さがありました。

実際、本物のプロ棋士の方たちが試写会に参加したそうですが、観終わった後の感想として、松山ケンイチさんの手の動きのことばかりが話題になっていたのだそうです。

将棋を趣味としない人にとっては、なんとも的外れで専門バカっぽい感想に聞こえるかもしれません。

しかし、そうではないのです。これは、鑑賞側から見たリアリティの問題なのです。

いかに服装だとか、表情だとか、セリフだとかで上手に扮装して、本物っぽく見せても、手の動きがド素人丸出しだったら、それを見た瞬間に「う~ん…」となってしまうのです。

これが将棋ではなくて、他のこと、たとえば野球とかサッカーでも同じことだと思います。私はまったくの門外漢ですが、本格的にやっていた人なら、私が将棋に対して持つのと同じような感想を持つのではないかと思います。

野球やサッカーの場合は、経験者でなくても見慣れている人が多いはずですから、あまりにド素人の動きだと、多くの人が興ざめしてしまうでしょう。

とは言え、それをもってその作品の価値を低く評価することはないです。それはそれとして、ストーリーやその他の面での役者の演技は、ちゃんと見ています(見ているつもりです)。

棋士役の人の手の動きがイマイチな本当の理由

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思うのですが、他の棋士役の方たち、また他のドラマ(NHK朝ドラ「ふたりっ子」など)でもそうですが、演技面でこの将棋の手の動きがイマイチなのは、それ自体が難しい、ということよりも、他に理由がある気がしています。

それは、「普通の人はそんなところは見ていない、気にしない」ということです。

つまり、映画に携わる人も、観る人も、大多数が将棋を本格的な趣味とはせず、細かいテクニカルなことを気にしたりはしないのです。

この映画を観た将棋をしない友人に、私が「手つき」についての感想を話したら、「自分は全然気にならなかった」と返ってきたので、「そういうものか」と思ったしだいです。

ですので、聖の青春の撮影現場でも、監督が俳優たちの手の演技に関してうるさく言ったりすることはなかったのだろうと思います。

もし監督自身が大の将棋ファンだったら、きっと手の演技にはかなりうるさかったはずです。

でも、そういう映像作品としては瑣末な要素にリソース(時間やエネルギー)を割き過ぎるような人は、あまり良い映画は撮れないような気もします。

この「聖の青春」においても、手の動きに関しては、「とりあえずそれっぽく見えれば十分」といったレベルで、あとは所作や表情やセリフなど、一般的な演技に力を注いだということなのでしょう。

そちらの方がはるかに一般の観客に受けるはずですからね。

やっぱり松山ケンイチはすごかった

それを考えると、松山ケンイチさんは本当にすごい俳優なのだな、ということが逆によく分かりました。

製作者や他の演者があまり気にしないことを、松山ケンイチさんだけは、とことん気にしたということです。

できるだけ棋士・村山聖に近づこう、その在りし日の姿を忠実に再現しようと努力した跡が、あの手つきの自然な演技に現されているのです。

役づくりのための増量ばかりが話題になっていましたが、あの「手の動き」の演技についても、相当な練習を積み重ねていたはずです。

劇中で髪の毛を切った後の松山ケンイチさんの姿は、本当に在りし日の村山聖にそっくりでした。

まとめ

この映画では、羽生善治役の東出昌大さんの演技や、本物のプロ棋士がチョイ役で出ていること、村山聖の普段の生活ぶりなど、楽しめる要素がたくさんありました。

しかし、私にとっては、演者たちの「駒を動かす手つき」の演技と、そこから見えた「俳優・松山ケンイチのすごさ」の2点が、特に印象に残りました。

たぶん何年か後にこの映画を思い出すとき、私はまっさきに松山ケンイチさんの手の演技を思い出すことでしょう。

よしず後記

よしず


実際は松山ケンイチさんの手の演技も、若干ぎこちなさは残るのですが、他の演者(東出昌大さん含む)と比べるとダントツで上手いです。

私は演技についてはド素人ですが、その一点からも、松山ケンイチさんの役づくりのレベルの高さが推し量れた、という話です。

余談ですが、不戦敗を除く村山聖の対羽生善治戦績は6勝7敗です。ほとんどの棋士は羽生善治には0割~2割程度しか勝てないので、五分に近い戦績は本当にトップクラスです。