今の時代、将来自分が年老いた時に、暮らしていけるのか、不安を抱えている人が非常に多いと思います。
非正規雇用の人はもちろん、正規雇用の正社員であっても安心できません。終身雇用で十分な給料が保証される時代ではなくなり、年金に対する不信感・不安感も拭い去れません。
そしてそれは、経済的には非常に恵まれているはずの、年収1000万円を超える高所得世帯にしても例外ではないのです。
それほどの高収入を得ていても、ほとんど貯金がない、それどころか、借金しなければやっていけない、という世帯が増えてきているのだそうです。
そして、そういう世帯に限って、表面的には絵に描いたような、経済的にも精神的にも満たされた幸福な家庭に見えるのです。
そのような一見豊かそうに見えて実は貧困にあえいでいる状態を「隠れ貧困」といいます。
こちらの本では、具体的な事例や解決法が豊富に掲載されています。いま「隠れ貧困」にあえいでいる自覚のある人なら、きっと似たような境遇のケースがあり、非常に参考になるのではないではないかと思います。
隠れ貧困とは
隠れ貧困とは、放置していると「下流老人」に転落しかねない危険なお金の生活習慣病である。
著者の荻原博子さんは、本のタイトルでもある「隠れ貧困」を、カジュアルにこう定義しています。生活習慣病、という例えが私には非常にしっくり来ました。
カロリー過多、栄養の偏り、運動不足といった悪しき生活習慣が、血糖値やコレステロール値などの異常につながってしまう。
しかし、そういう値が異常値を指し示していても、最初は特に目立った身体の異変がないので、習慣を改めようとしない。
ところが、それが少しずつ積もりに積もって、ある日、糖尿病や心疾患や脳血管疾患などの致命的な病気となって襲い掛かってくる。
お金についてもこれとまったく同じことが言えるのですね。お金に関しての「悪しき生活習慣」は、やはり「浪費」に尽きるでしょう。
隠れ貧困の2つの主な要因
本書にはおそらく荻原博子さんのカウンセリングを受けたと思われる「隠れ貧困」にあえぐ家庭の事例がたくさん出てきますが、その大きな内部的要因は主に二つあるようです。
一つは夫の収入の減少。もう一つは家計の浪費です。しかし、どちらか片方だけ、ということはあまりなく、
「もともと家計の無駄遣いが多かったが、夫の会社が上向きでしっかり稼げていた間は問題として表面化しなかった。しかし、夫が減給されたり、リストラされたりなどすると、そこで一気に問題が表面化して慌てふためく」
という構図が目立ちました。まさに生活習慣病ですね。
「隠れ貧困」の要因として、日本経済の不況とか、国が教育にお金を出してくれない、とか、様々な外部的要因が挙げられますが、こればっかりは家族だけでどうこうできる問題ではないですよね。
不満はあるかもしれませんが、国や社会や時代のせいにばかりしてもはじまりません。
実際、本書で取り上げられている例として、夫の年収が1000万円とか800万円とか、高収入と言える水準にもかかわらず、「お金がない」というものが多く出てきます。
こういうのは、完全に家計の問題と言えるでしょう。
ですので、私たちは、自分たちでできることをやるしかありません。隠れ貧困をクリアするためには、「稼ぐお金を増やす」か「使うお金を減らす」の二つの方法しかありません。ダイエットとまったく同じ(食べる量を減らすか、運動するしかない)ですね。
稼ぐお金を増やすのは、夫の給料が上がるのを期待するのはなかなか難しいので、妻が働くか、副業を始めるか、ということになりそうです。
そして、家計の方では、無駄遣いを極力減らす。必要のない保険、必要のないぜいたく(旅行や買い物)、必要のない教育(いろいろ習わせ過ぎている)などはないか、などですね。
個人的に印象に残った隠れ貧困の事例
こう書くと、「なんだ、妻が働いて、家計の無駄な出費を削れば、何とでもなるじゃない」と簡単そうに見えます。
確かに、それが実行できれば「隠れ貧困」を脱することはたやすいはずです。しかし、実際には、なかなかそれができないから、「隠れ貧困」が問題になるのです。
本書の例を見ると、隠れ貧困は、本質的に「心の問題」である場合がかなり多いのです。
そのことについて、私が本書で印象に残ったくだりをいくつか引用します。
ケース1:銀行員の男性の例
まずは長谷川さんという銀行員の例です。家計が苦しくなってきて、車を手放さなければならなくなったときの心理です。
長谷川さんは妻には言いませんが、車には思い入れがありました。結婚して車を買い、最初に実家に帰ったときに、「おまえも、車が買えるようになったか」と父親が褒めてくれたのです。初めて一人前になったことを認められたような気がしてうれしかったことを覚えています。次に褒められたのは、家を買ったときでした。「これで、おまえも、一国一城の主だな」と父親は満足そうでした。
長谷川さんに限らず、こういう男性は多いと思います。自動車や家を持つことは、利便性以上にこういう「体裁」の問題だったりします。
利便性だけを考えれば、車はともかく、家は別に買う必要はないですからね。家を買うことは、ものすごい重荷を何十年も背負い続けることです。
しかも、一度背負ったその重荷からは、逃げることもできません。
長谷川さんの父親は、「頑張れば、道は切り開ける」と素朴に信じている人です。高度経済成長時代は確かにそうだったかも知れませんが、今は違います。
そもそもみんながみんな、自分だけの家を持てるようになった時代なんて、日本の歴史上、高度経済成長時代くらいなのではないでしょうか。
長谷川さんの同僚A氏のケース
時代や状況が変わっているのに、価値観が変わらないと、ひずみが生じます。長谷川さんの同僚A氏も、同じように親との関係に問題を抱えていました。
A氏は、仕事のトラブルをきっかけに、うつを発症しました。療養のために、実家に帰った方がいいと周囲に勧められたのですが、頑なに断ります。
あまりの頑なさに、なぜそんなに実家に帰るのが嫌なのかを聞くと、長男だったA氏は、幼い頃から父母の期待を一身に集めてきたことを話し始めました。(中略)その後A氏は、結局会社を辞め、郷里の両親たちに引き取られていきました。
A氏の親も、きっと長谷川さんの父親のような価値観を持っていた人なのでしょう。両親の期待を一身に集めて、よく勉強し、良い大学、良い就職先と、その期待に応え続けてきました。
しかし、社会は学校とはまったく勝手が違い、素直にコツコツ努力をしていれば報われるとは限らないのです。
日本が上だけを向いていられた時代の価値観を、普遍的なものとして自然に刷り込まれてしまった長谷川さんやAさんは、今そのことに苦しめられているのです。
ケース2:専業主婦の女性の例
実は、そうしたことがストレスとなって、ついつい夫には内緒で買ったブランド品が、ワードローブの中にいくつか隠れているのです。
こちらは隠れ貧困から脱出しようと、働きに出ようとしたある専業主婦の話です。
40代ではなかなか採用されず、採用されそうだった仕事は日曜も働かなければならない。日曜は家族と一緒にいたいからイヤだと断った。かと言って清掃員やレジ打ちのような仕事もしたくない。
そして結局ストレスを溜めてしまい、家計を助けるどころか逆に家計を苦しめる結果になってしまいました。
こういう話を聞くと、ぜいたくだ、とか、わがままだ、とか思ってしまいそうです。少なくとも私にはよく理解できないメンタリティでした。
自分でお金を稼がなくても暮らしていける時代が何十年も続けば、そういう感覚になってしまうものなのかなあ、というのが率直な感想でした。
ただ、現実問題として、この妻はこんなことをやっていても前には進めません。
ケース3:ブランド好きなOLの例
こんなOLの例もあります。
6畳1間でパンの耳をかじりながら、やっと貯めたお金で、ヴィトンのバッグを買ったOLもいました。そこまでして、どうしてブランド品を買うのかと聞いたら、「自分に自信が持てるから」「他人と同じでないと不安だから」という答えが返ってきたのが印象的でした。
「四畳半でカップ麺をすする生活をしながらスポーツカーに乗っている」男性の話は聞いたことがありますが、その女性版ですね。
それにしても、6畳1間でパンの耳をかじるのが「他人と同じ」とはどうしても思えないのですが…。
まとめ:隠れ貧困の唯一の解決法は、少しずつ自分を変えていくこと
家のような大きな買い物をしてしまったら、後には引けないので頑張ってローンを完済するしかないでしょう。しかし、それ以外の不要な浪費については、本人の気の持ちようです。
人間にとって、今までの価値観を捨てるということは苦痛で難しいです。(中略)モノではなく心を満たし、少しずつ自分を変え、自信を積み重ねていかなくては、豊かな老後は来ないでしょう。
上に挙げた3つのケースは、どれも本人の価値観が「隠れ貧困」からの脱却を決定的に邪魔してしまっているケースでした。
長谷川さんも、清掃員やレジ打ちをしたくない専業主婦も、ブランドバッグのために6畳1間に住んでいるOLも、「隠れ貧困」から根本的に脱却するためには、まずその見栄や世間体や体裁に囚われすぎている価値観を捨てることから始めなければならないようです。
生活習慣病と全く同じで、隠れ貧困も、普段から少しずつ自分を変えていくしか解決法はない、ということです。
「自信の積み重ね」によってのみ、豊かな老後を迎えることができる。結局お金の問題も、根本的には心の問題であるということですね。
よしず後記
隠れ貧困の問題は、一見こまごまとしたことが何重にも重なっていて、雑多で複合的に見えますが、いちばんの本質は精神面なのですね。とはいえ、それが一番解決が難しい問題とも言えます。